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静岡市の襖屋のブログです。   
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昨日は大学入試センター試験の1日目でした。個人的に現代文にちょっと関心が深くて、毎年この時期になるとついつい問題を解いてしまいます。



第一問は木村敏さんという精神病理学の先生の文章でした。

入試では頻出の方です。
内容も「境界」がキーワードで、入試でよく出るテーマです。




世の中には様々な境界線がありますが、実はよく考えるとはっきりとした境目のあるものはほとんどないのです。


たとえば「水とお湯」。

何度以上がお湯で何度以下が水とは決められないよですよね。

同じように「水と氷」「山と谷」「首と肩」・・・境目があいまいなまま、区別しています。



最近知って驚いたのですが、タラバガニはカニじゃないそうです。

カニは鋏を含めて足が10本あるはずですが、タラバガニは8本しかないのでヤドカリの仲間になるそうです。

でも鍋で食べるときに「こいつはヤドカリなんだ・・・」と思いながら食べるなんて許せないですよね!生活の中ではタラバガニは「カニ」でいいんです!!「やっぱりカニは最高にうまいね~」と言いながら食べるべきなんです。





つまり、学問の世界は無理やり分類してしまいますが、現実世界にははっきりとした境界線なんてないんです。



ヤドカリとカニははっきり区別できるものではなく、タラバのようにあいまいな奴が必ずいるのです。


そのような連続的で混沌としているものが「自然」なのです。





実は襖や障子にも全く同じことがいえます。



襖や障子は内と外を隔てるものではありますが、非常にあいまいな仕切で、隣の部屋の気配が伝わってきてしまいます。

場合によっては、襖を全部外して大広間として使う、なんてこともありますよね。



日本の建築は内と外をはっきり区切らないところに大きな特徴があります。
それは、自然に溶け込むことにつながります。

「小春日和に縁側でひなたぼっこ」とか「夏に窓を開け放って畳の上で昼寝」とか、いかにも昔ながらの和風の暮らしぶりというのは極めて自然の摂理にかなったことだったのです。




そんなことをつらつら考えながらのんきに問題を眺めていましたが、実際に受験した学生さんたちは必死だったでしょう。

ちなみに試験の文章は「自我意識は境界そのものである」という、とっても哲学的なものでした。


受験生の皆さん、お疲れ様でした。あと一日頑張ってください!





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